カンピドリオ広場中央の騎馬像が外されている、トレヴィの泉の水が抜かれている、テルミニ駅で翌日もスリに遭う等々.ローマではこんな驚きに出くわしたが、1990年のクリスマス、サン・ピエトロ広場中央にあった素朴なプレゼピオ(降誕場面の模型)は楽しい驚きだった。その奥に聳えるサン・ピエトロ大聖堂は衝撃的な大きさ、豪華さ。工事費の工面が難航し、贖宥状(免罪符)の乱発が宗教改革に繋がったことも想像に難くない。
大聖堂の建設は1506年のブラマンテの案に始まるといわれる。当時の案はギリシャ十字の平面形を持つ。その後ラファエロに、次にサンガッロに引き継がれた。サンガッロはそれまでの案を長廊式の平面に拡大するが、これには東方教会の宇宙を象ったドームのイメージと、トリエント公会議で議論になった伝統的ラテン十字形尊重の影響が見て取れる。しかし、工事はあまりにも巨大化して頓挫。そこに登場したのがミケランジェロである。彼は計画を縮小し、ブラマンテの試みたギリシャ十字形の案を基本に集中式聖堂を設計した。しかし、ミケランジェロはドームの完成を待たずに亡くなり、その構想は次の世代の建築家に引き継がれ、現在の長廊式の聖堂となる。そして、彫刻《聖女テレサの法悦》で有名なベルニーニの手によって聖堂前の広場と列柱、また主祭壇を覆う青銅製の天蓋(バルダッキーノ)が完成した。
サン・ピエトロ大聖堂は、ペテロの墓の上に築かれた教会の上に建つ。地下にはその痕跡が残る。そこは天に届くような地上の大空間とは違い、天井に頭がつかえるほどの空間だ。荒削りな石の肌に射す光が美しい。そして、チケットを買ってドームの上にも登る。クーポラ展望階からは、母が手を広げて信者を招くスケッチを残したベルニーニの造った広場が眼下に広がり、「ローマは永遠」という言葉が頭に浮かぶ。
文章・スケッチ:田淵諭『光と祈りの礼拝堂』(教文館、2023)3章「旅とスケッチ 聖なる空間を訪ねて」より

