ケルン中央駅を降りると、ごつごつした黒い固まりがそびえている。不気味に見える聖堂も、近くで見上げると動物や妖怪、滑稽な樋代わりのガーゴイルがいて親近感が湧く。
ヨーロッパと日本の文化の違いを石の文化と木の文化に例えることがある。伊勢神宮の式年遷宮を挙げるまでもなく、日本は木の文化、新築の文化であるが、ケルン大聖堂の歴史を繙く時、石の文化、再生の文化であることを感じる。壊れたら積み直す、再生させる。
キリスト教が公認された4世紀、初代聖堂が造られる。8世紀末には大司教座が置かれ、ケルンは政治・文化の中心となる。12世紀半ばには東方三博士の聖遺骨が納められ巡礼者で賑わうも、13世紀半ば二代目が焼失。建築家ゲルハルトがアミアン大聖堂を手本にそれを超える大聖堂を構想。再建が始まるが、今度は財政難で工事が中断。300年近く未完の姿を晒すことになる。1814年に発見された聖堂西側正面の図面がきっかけとなり、ゴシック・リヴァイヴァルの潮流などに後押しされ工事が再開される。着工から632年の年月を経て1880年完成する。第二次世界大戦では爆撃機の標的にされ、大きな被害を受けるが、この時も積み直される。
ラテン十字平面の五廊式バシリカの聖堂内はまさに天に伸びる空間。垂直性を強調した束ね柱が林のように建ち、正面の光に溢れた聖壇へと導かれる。そこには、聖遺物を納める聖堂の形をした金細工の棺が置かれている。
外に出てスケッチをしようと正面に立つが、あまりに大きく全景が見える位置が見あたらない。建物から離れスケッチを始めるが、描き上がる頃には首が痛くなった。帰路、ライン川越しに見た夕日に染まるケルン大聖堂の美しさに、その痛みが和らぐ気がした。
文章・スケッチ:田淵諭『光と祈りの礼拝堂』(教文館、2023)3章「旅とスケッチ 聖なる空間を訪ねて」より

